理解という出来事2003.4.15-5.18

人が何かを理解するという事は、身体と社会、そして世界とが繋がる「瞬間」であると思う。その繋がる「瞬間」は固定されたものではなく、その時代、その切込み方によって多様に変化する。言い換えれば、稲妻のように身体に入ってくる時もあれば、ゆるゆるとした波のようにこちらに向かってささやく時もある。ここに集められたアーティストはその意味で面白い切込みを入れて、その瞬間を、私達と社会とが繋がる瞬間を提示してくれるだろう。